ふたりはひとり  マルコ10:1~12

 クリスチャン結婚カウンセラー、ゲーリー・チャップマン博士による離婚統計を紹介します。

 初婚では40%が離婚。
 2度目の結婚では60%。
 3度目では­75%が離婚する。

 日本には、<主人在宅ストレス症候群>と名付けられた症状があるそうです。夫が退職して一日中家にいて何もせず、何でもかんでも妻に質問し、口うるさく家事に介入して、最後には奥さんが体長を崩すそうです。
 そういうば、日本には熟年離婚というのがあります。長年積もり積もった妻の不満が爆発するというのです。夫は何も思い当たらず、放心するばかりです。

 今日は、離婚という切り口を用いて、結婚を考えたいと思います。

1、パリサイ人の質問に答えて(1~9節)

 パリサイ人は罠をかけようとしていました。答え方によっては主イエスを糾弾できる内容を含んでいました。(2節)主イエスのお答えは、聖書に土台を置き、モーセの律法を尊ぶ適切な答えで、パリサイ人にすきを与えませんでした。主イエスは、単に攻撃をしのいだだけでなく、結婚の意義を語る機会にされました。

 「しかし、創造の初めから、神は、人を男と女とに造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」(6~9節)

 結婚を大切な制度として創造の初めに定められたのは神です。主イエスは創世記の言葉を引用し結婚の意義を説明されました。
 結婚とは二人が一人になることです。これは神が結び合わせたものです。「結び合わせた」という言葉は、のりで付けるという意味があります。
 礼拝で私は、色の違う二つの紙をみんなの前でGlueを使ってのり付けしました。そして、こう言いました。「もう一枚になりました。乾いた後に分けようとしたら、破るしかありません。結婚とは本来こういうものです。」

 離婚は、神の定めに反するものです。「わたしは、離婚を憎む」(マラキ2:16)と言われている通りです。離婚とはかたくなな人々に対する特別な譲歩なのです。

 「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。」(5節)

 聖書で離婚を許容する場合は二つです。

1)姦淫の罪 
 いわゆる浮気や不倫もこれに当たります。  
「妻に何か恥ずべき事を発見したため」(申命記24:1)
「不貞以外の理由で妻を離別する者は」(マタイ5:32)

2)遺棄    
 これは、帰宅しないとか、経済的に援助しないとか、子供や妻の養育を放棄することに当たります。家庭内暴力は遺棄よりも強い、結婚関係の否定だと私は考えます。
「しかし、信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れていかせなさい。」(第1コリント7:15)

 以上2つの例は、配偶者が自分から夫婦の関係を実質的に切断したと理解できます。それで結婚の継続が困難になるのです。
 参考までに日本の日本の民法770条を引用します。
 「夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
 1 配偶者に不貞な行為があったとき。
 2 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
 3 配偶者の生死が三年以上明らかでないとき。
 4 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
 5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。」

 主イエスは、「だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻にたいして姦淫を犯すのです。」(11節)と言われました。例えば再婚を念頭に自分勝手な理由で離婚を迫る人は、公然と姦淫を犯すに等しいと主イエスは厳しく迫りました。

 最後に、良い夫婦になるための提案をします。
1)離婚を選択肢から外す。
2)柔軟な意思を持ち、自分自身を変える。
3)愛の成長をいくつになっても求めていく。

 私のプロポーズの言葉は、「僕と一緒に歩いてくれますか」です。今も、文字通り、夕食後に手をつないで二人で散歩しています。結婚27年で、今が一番幸せと思って生きています。

 良い夫婦になりましょう。夫婦関係で苦労している人の聞き手になりましょう。そして、あなた自身が素晴らしい配偶者と出会えるように祈ります。